
明治25年(1892年)、大阪市西区にて創業。戦前は北区や浪速区にも店舗がありましたが戦災にて全て焼失し、昭和23年に現在の住吉区に移転しました。戦後の物のない時代でしたが、本当においしい粟おこしを作る為に、おこし作りの全ての工程を自社で行う事のできる工場と店を作り再スタートしました。4代目に引き継がれた現在もその精神を受け継ぎ「ほんまもん」の原点を忘れずに現代に合った新しいおこし作りに挑戦しています。
明治期、天保町(現大阪市天保山周辺)でアナゴの水揚げがありました。それに伴いあなご加工も盛んになりました。知られておりませんが現在でも6軒の加工業者が残る大阪市港区の地場産業です。
昭和5年平野区で個人商店(周三郎商店)として創業いたしました。昭和27年の9月株式会社に改組いたし現在に至ります。安定した商品の提供を基本にこつこつと実績を積み重ねてきました。きわめて優秀な技術を持つ府内の第一人者に贈られる大阪府技能顕功章"なにわの名工"を平成16年に村田一郎(取締役会長)が受賞し味噌製造法の開発・改善等が評価されました。全国のみそメーカーの醸造技術の向上を目的として、味噌関連研究者や全国の技術者により日本一の味噌を決定する全国味噌鑑評会では最高位の農林大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞しております。そして、優秀な技能を有する青年技能者(35歳未満)に贈られる"なにわの名工若葉賞"を平成20年に矢木秀行(主任研究員、1級味噌製造技能士)が受賞しました。その他にも大阪市食品衛生関係優秀標表彰・「食品衛生」大阪府知事表彰をいただいております。
寛永7年、1630年創業から続く、千鳥屋宗家を代々営む原田家は、室町時代に起こった関西出身の武士の家系であります。武家社会で花開いた美術、能楽、茶道といった日本文化を学び、その学びを和菓子を通じて伝えていくとともに、新たな和菓子作りにも挑戦していきます。
昭和二十三年、大阪府八尾市に生まれた旭食品。当初は「太子乾麺所」として創業した当社。
戦後間もない食糧難の時代に、先代社長がこだわり、たどり着いたのが「出汁製造」。
昭和三十三年発売の「うどんだしの素」「そばつゆの素」、昭和四十二年発売の「旭ポンズ」、
平成二十九年発売の「旭ぶっかけポンズ」が作られました。
出汁への想い、こだわりを八尾から全国へ、世界へと広められる
よう二代目三代目を中心にスタッフ一丸となり取り組んでいます。
1948年・・・「太子乾麺所創業」
戦後まもなく、旭食品の前身である太子乾麺所が誕生。
先代社長、義兄塩川勘次郎氏と共同経営。
うどん・そうめんといった乾麺の加工が主。
1953年・・・「旭食品に商号変更」
乾麺に合うダシを。という想いで、先代社長が辿り着いたのが冷しだし。
ビニール袋という画期的なパッケージでの販売も功を奏し人気商品となる。
同時に中華スープの素も販売。
1958年・・・「うどんだしの素、そばつゆの素販売開始」
当初は袋で販売していた冷しだし。瓶としてはじめて販売されたのがこの2商品。
1966年・・・「ポンズの研究開始」
先代社長自らポンズの開発をスタート。
食材や細やかな調合の試作を重ねていく。
1967年・・・「旭ポンズ製造販売開始」
年中通して美味しく召し上がっていただける商品を!という想いで
当初手に入りづらかった家庭用ポンズを研究開発。
全国を探し回って見つけ出した厳選素材は、まさにこだわりが詰まった賜物。
試行錯誤の上1967年10月7日に完成した旭ポンズは、先代社長から現在へと受け継がれています。
1989年・・・「株式会社旭食品設立」
2017年・・・「旭ぶっかけポンズ誕生」
旭ポンズ販売から50周年。ポンズの他にも何か出来ないか?など色々考えた結果、
戻ってきたのは原点でした。ポンズの可能性を更に広げ、多くの人に伝えたい。
そのような想いから旭ぶっかけポンズが誕生。パンチのある旭ポンズとは違い、
黒糖や三温糖の優しい甘みがある、お子様でも食べやすい人気の商品です。
2020年・・・「新工場へ移転」
美味しさやこだわりを保ったまま、より多くの方に安定した商品供給が
出来るように。製法や品質は機械に頼り切らず、受け継がれてきた方法で製造。
2021年・・・「大阪産(もん)認定」
あ
か
さ
た
な
は
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や
ら
わ